ギトリスと日本、その絆

2017年06月21日

 

これから書くことは製品と無関係な内容でまったく場違いではあるが、一人の日本人としてどうしても書き残しておかないといけないと思ったので、どうかご海容願いたい。
 
東日本大震災が起きた2011年3月11日を境に、多くの海外演奏家たちが予定していた公演をキャンセルし来日を見送っていた。そんな中、日本をこよなく愛する現役最高齢の世界的な名ヴァイオリニスト、イヴリー・ギトリス氏が、震災の甚大な被害にたいへん心を痛め、いたたまれなくなって私たち日本人にこんなメッセージを書き送った──
 
愛し、敬う誰かが悲劇に遭遇している時、何を語ればよいのだろう?
愛していると伝える?
その通り・・。

それこそ、私が第2の故郷と考える日本と、日本の皆さんに伝えたいことです。
皆さんのことをいつも想っています。
私に何かできることがあるなら教えてください。
私は最善を尽くしたいと思います。
今私に出来ること、それは皆さんにこう伝えること──
「私の心、そしてヴァイオリンはあなたのそばにいます」。
もしもそれが皆さんの助けになるのなら、私はすぐにでも日本を訪れるでしょう!

今日本で起こっていることは世界全体への警告であり、 私は世界がここから何かを学ぶことを望んでいます。
しかし今はなにより、被災者の人々を愛し、その勇気を称賛しながら、 より良い日が来るようにと希望を抱き、祈るだけです。

2011年4月1日 パリにて
あなたの友人そして兄弟 イヴリー・ギトリス
 
 
彼はただメッセージを送り届けただけではなかった。「多くの演奏家が来日公演を中止しているが、だからこそ私は日本に行く。私が行くことで、日本でコンサートを行うにはまったく支障がないことを皆に分かってもらうつもりだ」と、当時89歳の高齢でありながら第二の故郷へ本当に帰ってきたのだ。

2011年6月に東京と名古屋で「震災救援のためのチャリティコンサート」を行うと、「ギャラなしでいいから被災地に行って音楽を届けたい」と宮城県石巻にある避難所まで慰問演奏に出かけ、被災者を前にエルガーの『愛の挨拶』や成田為三の『浜辺の歌』を奏でたり、それから門脇中学校の音楽室も訪れて吹奏楽部の生徒たちと交流を図り、バッハの『無伴奏パルティータ』を演奏したりした。すると生徒たちもお返しに日本の唱歌『ふるさと』を演奏。それにギトリス氏は涙し、「君たちとは音楽でつながっている。音楽をずっと続けていってほしい」と伝えた。
 
翌2012年の3月11日、ギトリス氏の姿は岩手県陸前高田の震災追悼式典にあった。そのときの模様は以下の動画で伺い知ることができる。献花が行われている間ずっとギトリス氏が寄り添うように鎮魂曲を捧げている。津波で流された松材や堅木を拾い集めてこしらえた「TSUNAMIヴァイオリン」の音色に耳を澄ましていただきたい。

奇跡の一本松とイヴリー・ギトリス氏
(撮影:太田信子/写真提供:日本財団)


あれはいつだったか、名古屋で演奏したときのことである。ふとギトリス氏がステージ上で一人の日本人の名前を呼んだ、「ミツオカさんにはとても感謝している」と。
私の脳裡に懐かしい記憶が蘇ってきた。当時私はまだ20代で舞台制作の仕事に従事していたが、同業者だったアートハウス代表・光岡久男氏の姿が思い浮かんだからである。実はギトリス氏を知るきっかけはその光岡氏からで、ギトリス氏やマルセル・マルソー氏の名古屋公演はアートハウスがマネージメントを手がけていた。彼のオフィスには仕事で何度か訪れたこともある。部屋中ところ狭しとCDが積まれ、入ると決まってクラシック音楽が流れていた。

だが無念なことに末期ガンを患い、2000年2月不帰の客となってしまった。ギトリス氏も彼の訃報を知り弔電を届けたようだが、ステージで名前を呼んだのは、哀悼の意を込めて生前の親交に対する感謝の思いを(客席にいる故光岡氏に向けて)伝えたかったのかもしれない。
2人の交流については、それをもっともよく知るピアニストの雫さんがブログ「世界のできごと」でお書きになっているのでそちらを読まれたい。
 
 
 
 
光岡氏は生前、アナ=マリア・ヴェラ氏とギトリス氏を招き、2人の共演をレコーディングした自主制作CD『ギトリス・ヴァイオリンソナタ集〜ブラームス・ベートーヴェン・ヒンデミット』(巻頭写真参照=ジャケット表紙)までリリースしている。1996年12月10日〜12日、彼らの演奏がもっともよく生かせるスタジオとして自ら選んだ愛知県碧南の室内楽専用ホールをまる3日間貸し切り、観客をいっさい入れないで収録したものだった。もう今では廃盤となったこのCDが光岡氏にとっての遺作となったが、晩年こう語っていたという──

「ギトリスさんのためなら自分の命を削っても惜しくない」

むろん彼だけでなく、何人もの日本人がギトリス氏と親交を持っていたことは揺るぎないが、この2人の音楽を通じた厚い友情もまた、ギトリス氏の日本愛が芽生えることになった理由の一つではないかと確信している。

それから歳月は流れ、時は2017年5月。ギトリス氏がまた「ホーム」に帰ってきてくれた、車椅子で。「日本にいつ訪れても、やっぱり<家>に帰って来たなあと感じる。場所も人も好きだし、本当に<家>みたいだ」と語るギトリス氏ももう94歳になるが、あいかわらず精力的な人だった。
九州の「別府アルゲリッチ音楽祭」に出演したあと、群馬県高崎と東京で「ヴァイオリン・リサイタル」をこなし、それが終わると今度は岩手県平泉へ向かい、平泉中学校の生徒たちと交流を深めた。
愛用する1713年製の名器ストラディヴァリウスを奏でながら、「現代の技術でもこれは作れない。君たちも地元の世界遺産を大切にしてほしい」「人生はつらい時があるから幸せな時が訪れる」(『河北新報』2017年5月30日付の記事から引用)と伝えた。
 
東京の紀尾井ホールで開催されたそのときの演奏会で私は、老いてなお2時間あまりをかくしゃくと演奏し通したギトリス氏に畏敬の念を、そして万感の思いで惜しみない拍手を送った。なんという幸福なひととき(一瞬)だったろう、ギトリス氏と日本人がつながる縁あればこそ。光岡氏の無念が報われたと思いたい。

ギトリス氏がこよなく愛する『浜辺の歌』を最後に──

□Ivry Gitlis plays The Song of the Seashore


(文責:鳥居賢司)

 


 
 
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